日本酒ものがたり | 飯沼本家

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第五話 飯沼本家の人々

飯沼本家のひとびと

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飯沼本家はたかだか三十数名の小さな会社だけれど、個性あふれる人たちが集まっている。この四十数年、ここでの暮らしには、たくさんの出会いと別れがあった。その中でも、タケちゃんは最も忘れられない人の一人だ。


タケちゃんは近隣に住むおばちゃんだった。といえば普通の奥さんを想像しがちだけれど、彼女は少し知能の発達が遅れていた。こんな田舎なので周りの助けもあり、集落の一員として普通の生活を営むことができていた。そんな時、夫のトヨさんが亡くなり(トヨさんも知的障害があった)、タケちゃんは一人暮らしになった。近所のスミ子さんが心配して「庭の草取りでもいいから使ってやってよ」と二人で私を訪ねてきた。「この人はちっとばかり頭は八分だけど、ウソは付かないよ。真正直な人だから、奥の仕事だって任せられるよ」


奥とは蔵の中に居を構える飯沼家のこと。それなら、と庭仕事を週3回頼むことにした。


そのうちに家の掃除や墓掃除など、タケちゃんは奥にとって大事な人になっていった。


中でも春先のたけのこは、タケちゃんが大活躍の場だ。これまた当社のたけのこ名人の伊藤さんが米袋に五つ六つ、たけのこをいっぱいにして持ってくる。親戚やお得意さんなどに茹でてから送るのは先代からの年中行事になっているので、この大量のたけのこの皮をむき、大釜で茹でるのは一日仕事だ。タケちゃんはゆっくりゆっくり、丁寧に皮をむき、小さな体で大きな鍋にたけのこを放り込んでいく。本当にタケちゃんがいなければなかなかできない仕事だ。


ある時、私は翌日からのパリ出張の準備に忙しくしていた。タケちゃんには「台所掃除しておいてね」と声をかけると、「あいよ」と言うも、椅子から立ち上がることが億劫そうだった。それで私も心配になり、家に帰そうか、と思ったけれど、家に帰っても誰がいるわけではないので「掃除はいつでもいいからここで休んでいなよ」と言い、銀行に両替に出かけた。タケちゃんを採用するとき、社内には、会社で何かあると大変だからやめた方がいい、という意見もあった。が、私は何かあったらここならたくさんの目があるからその方がいいだろう、と皆にお願いする形で採用した経過があった。まさかこの時が「何か」の時だとは、その時は思いもしなかった。私が銀行で両替をしている時、「スガワラさんがトイレで倒れてました。今救急車を呼びました」と会社から連絡があった。


「誰か一緒に乗っていって!」と指示を出し、急ぎ会社に戻った。


タケちゃんはその夜静かに息を引き取った。


後日、タケちゃんを連れてきたスミ子さんが、「タケちゃんはね、おらぁ今が青春だって言ってたんだよ」と教えてくれた。毎日誰かとおしゃべりし、仕事をしてお給料をもらい、自分のお金で買い物をする。こんな当たり前のことが彼女にとっては最高の幸せだった、と。


私にとっても、タケちゃんのようなピュアな心に触れたことが大きな宝になっていることを、しみじみを感じるこの頃である。


タケちゃん、タケちゃんがいなくなって私、本当に困っているけど、あっちの世界では楽しくやってね。


                                           合掌


 


written by イイヌマ ミキコ


 


 

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